静岡県の人材派遣会社
株式会社アイエーイー
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アイエーイー内観
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会社情報

役員紹介

TATSUYA NISHIMURA

代表取締役

西村 達也

代表取締役 西村 達也

これまでの歩み

高校を卒業後、鉄工所や鳶といった現場仕事を経験していく中で、23歳の時に人との繋がりで工場の下請けを行う機会がありました。その時に人を数名使う経験をさせていただいたことが、人を使う人材ビジネスに興味を持ったきっかけです。鉄鋼業界の不況で工場が閉鎖になることになり、4年ほどやっていた下請業をやめることになりました。しかし、これをチャンスと捉え「興味があった派遣業界をとりあえずやってみよう!」と思い、実務経験がないまま法人を設立して派遣許可申請を行いました。 右も左も分からず派遣を始めたので、初年度の売上は680万とボロボロでした。ですが、その後入社した優秀な営業社員の活躍で、次年度は9300万、その翌年は3億1000万、さらに4億と急成長。リーマンショクで1億2000万まで下がり大変な思いもしましたが、社員の頑張りのおかげで、それからはずっと右肩上がりで会社が成長している状況です。

これからの展望

地方創生と静岡No.1の派遣会社を目指して!

具体的に言うとアイエーイーは売上・知名度・拠点数で静岡No.1目指します! 2030年までに静岡県内の派遣年間売上50億を目標に掲げ、知名度や拠点数を増やすことにより静岡No.1と言われる派遣会社を目指したいと考えています。 2023年でアイエーイーは20周年を迎えました。その記念すべきタイミングでMission・Vision・Valueを作成し会社の目指すべき方向性を明確にしました。更に2024年には組織改革を行い、評価制度の導入・DX化を進めることにより、社員一人一人が仕事にやりがいを持てる環境作りに力を入れています。拠点を増やすことにより、地域貢献や地域人材の雇用を積極的に行い、静岡の活性化に取り組みたいと思います。

地方創生について

地方創生と言っても、たかが地方の派遣会社に何ができるのだろうか。 まずは、静岡県が抱えている問題点や課題を分析しようと思い調べてみました。 静岡県もそうですが、ほとんどの地域が人口減少という課題を抱えています。 静岡県は2007年(373万)以降、17万人以上(令和5年現在)の人口が減少しているのが現状です。人口減少に対して弊社として何ができるのか素人ながらに考えてみると、人口を増やすためには静岡を魅力ある都市にする(静岡企業・産業の魅力発信・県外からの有力企業誘致・娯楽施設など新しい産業の誘致等)・出生率の促進・子供に優しい環境にする(育児支援・教育機関の提供・家族への経済支援等)・県外からの移住者・外国からの移民・就労支援の拡充等が考えられるのではないかと思います。どれを考えても一企業どころか行政が動かなければ解決しない問題ばかりです。 しかし待っていても何も始まりません。まずは弊社として、多くの雇用創出を通じて地元静岡をもっと元気にできるように、できることからやってみようと考えています。

これからの展望

成功は失敗の彼方にある

どんな人でも失敗をする。大抵の人は失敗を深刻に受け止めて考え込んでしまったり、前に進めなくなってしまいます。本当の問題は失敗することではなく、失敗から学ぶこと。失敗したことに対して素直に間違いを認め、どう反応し、対応・修正するのか、そこから何を学びとるのか、それが大切なこと。失敗から何かを学ぶ限り失敗は失敗ではない。失敗は大きなチャンスである、という意味があります。 これまでの私の人生は波乱万丈でした。人を信用して裏切られたり、騙されたりするような失敗ごとが多くあります。ですが、不思議と何とかなったり、誰かに助けてもらったりと、殆どが解決できてきました。普通に生きていれば経験しないような出来事もたくさんありましたが、今となっては、それら全てが自分の経験となり、今後の人生に活かされると前向きに考えています。

趣味など

2023年から社内勤務社員の方々と月に1回フットサルをしています。これからは派遣社員も含めてこういった機会を積極的に設けて、社員の健康管理にも気を付けていきたいと思います。 家族や友人と旅行に行くことが楽しみで、毎年どこかしらの国内旅行をしています。余裕ができたら年に1回位は海外旅行もしてみたいと思います。 休日は小さい息子3人を公園に連れて行ったりと子育てに奮闘中です。

PROFILE

1976年に清水市(現、静岡市清水区)で産まれ、清水で育ちました。親の関係で小学5年生から中学1年生までは滋賀県に住んでいました。その後は清水に戻ってきたのですが、中学を卒業する時に働きたい気持ちが強く、親に内緒で就職活動をしていたところ、親が大反対。高卒の資格だけは取るように言われた結果、通信制の高校へ通い無事に卒業できました。行きたくなかった高校ではありましたが、当時の友達とは今でも仲良くできているので、その縁を作ってくれた親には感謝しています。